FC2ブログ

夏空と入道雲の日の記憶

2009年08月15日 23:59

080815.jpg

 
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


幼い頃の夏。 お盆。 
祖父母の、昔造りの家に大勢の親戚たちが集まるのが、恒例でした。

台所で、わいわいと、お昼ご飯の準備をはじめる祖母や母、叔母たち。
父や叔父たちは、白いステテコ姿でくつろぎながら、高校野球を見ている。
年の近いイトコたちは、扇風機の取り合いをしたり、縁側で虫と遊んだり。

正午すこし前、祖父と祖母が茶の間にきて、居ずまいを正す。
叔母たちはエプロンで手を拭きながらやってきて、叔父たちも起き上がる。
子供たちは、誰に言われるでもなく各々の親の隣に移動して、全員が正座をする。

テレビから流れてくる、怖いサイレンの音。

みんな、黙って、神妙な顔で目をつぶる。手を合わせる。
それまでの、のどかな喧騒とは一変し、張り詰めた、重い沈黙。…


「はいっ。 じゃあ、ご飯にしよっか~」
なかでも明るい叔母が、いつも先陣を切る。少しだけ、気がほぐれる。

にぎやかな食卓が整うまで、祖父と祖母は正座を崩すことなく、
少しずつ戻ってくる喧騒を見守りながら、時おり、すだれ越しの夏を見ている。
若くして亡くなった兄弟や血縁、友人たちを想っているような、遠い目で。
普段、孫たちには見せないような、哀しい目で。



毎夏、繰り返された8月15日の、光景。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


何年か前の終戦の日。
娘の夢子は、似たようなシチュエーションのなかに居ました。

テレビから高校野球が流れているけれど真剣に見ている人はいなくて、
久しぶりの逢瀬と昼間の酒宴で、どなたも饒舌で、笑い声も絶えず、にぎやか。
テレビから、かすかにサイレンの音。

ずっと室内の喧騒は続いていました。 
どなたか一人、「ああ、今日は敗戦記念日かあ」とつぶやくのが聞こえたけれど。

終戦の、日。
これが「平和」ってことなのかな…。
場の気を壊さないよう、私は夢子だけ手まねきして外に出て、に手を合わせました。





私の、いわゆる ご先祖さまには戦争で亡くなった人がたくさんいて、
当時のことを語りたがらなかった曾祖母や、語ってくれた祖父母たちに囲まれて育ち、
古い家の和室に額装されて飾られた写真の中には軍服姿の男性もいて、
いくつかのお墓のほかに慰霊碑にも手を合わせるのが お墓参りで、……
そんな環境で過ごした幼少期が私の根っこだと、痛感しつつ。

実質の戦争終幕は 1945年9月2日なのかもしれないけれど、
祖母たち庶民は、あの玉音放送で、「ああ、ほんとに終わった…」と涙したそうです。
同時に、これから何が起こるのか、戦争突入のときより怖かったと。


大戦で亡くなった親族の赤茶けた写真を見ると、
「英」と呼ばれることよりも、まっとうな寿命を生きたかっただろうな、と思います。


090815.jpg
私、右でも左でもないですよ念のため。




黙祷(もくとう)は、強制するものではないし、気持ちがこもってなければ意味もない。
ただ、太古の歴史や、ほんの少し前の哀しい歴史もあっての「今」なんだと、
身近な大人が教えなくて 誰が次世代に伝えるのでしょう、あの当時のことを。
たとえ、実感はなくとも。 今が、平和でも。

聞いた話ですが、人は手を合わせた姿(合掌)では怒れないそうです。
カタチありき、まず黙祷ありき、それでも いいのかもしれない。
なぜ心静かに祈る瞬間が必要なのか、それは子どもたちが後から学ぶとしても。

哀しい過去を、忘れないように。
(高度成長期に生まれた若輩の私が言うのは僭越ですが)


社会の教科書のどこかに書いてあるような歴史の1ページである前に、
他人事ではない自分の親族たちの事として、
生々しさを風化させずに伝えていくのは、もう むずかしいんだろうか…

戦前、戦中、戦後、 各時期の高揚と悲しみ、成功と失敗は、
まぎれもなく平成の世にも繋がっているはずなのに…






夏は特に、幼い頃の記憶が よみがえってくる気がします。

毎年8月15日は、晴れる日が多くありません?…   あくまで私の思い込みですけれど。




最新エントリー