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お盆と家族と、ご先祖様

2009年08月13日 23:59

当たった当たった♪ 願いの、星ピノ♪   さーて、何を祈ろうか。

P1230750.jpg

考えてるうちに、夢子に先を越されました。 願いの呪文は、先に言ったもん勝ちです。
初めて当たったピノなのに。。



そんな、お盆。 私は実家に帰りました、今年は長居モードで。
※もう自分の部屋もないのに無意識に「帰る」と書いてしまうのは、なぜだろう(笑)。

可愛がってくれた、亡くなった ひいおばあちゃんが、晩年よく言ってました。
「こんなによくしてもらってすみません。そろそろ おいとましてウチに帰らないと…」って。
ウチっていうのは、わずか十なん年しか居なかった生まれ育った家のことで、
何十年も暮らして子どもを産んだ婚家より、
生家の記憶の方が鮮明で、そんなに帰りたいものなのかと、私は子ども心に衝撃でした。
私のことも、○ちゃんと言う女学校のお友達だと思い始めて、連れて帰ってくれと。
「もすこししたら帰ろうね」と言うと、少女みたいに嬉しそうに笑ってくれるの。
「ひいおばあちゃんは、だんだん赤ちゃんにかえってるんだよ」と、
祖母や叔母は言ってましたが。


 


 

 

さて。   
私は実家に着くと、まず仏壇に手を合わせ、神棚に拍手を打ちます。
神さまが後なのは、神の方が鷹揚(おうよう)でアバウトなはずだと勝手に思っているから。

それからキッチンに行くのが、いつもの順路。
たいてい、何か美味しそうなものが無造作に置いてあるのよね、実家って。
この日は、ツヤツヤぷっくりした太巻きが15本くらい重ねられていた♪
母の太巻きは、中身がぎっしりで素朴なんだけど色とりどりで美味しいの。



お昼どき、「太巻きしかないけど、どうする?」と言う母。
「いらないよー、太巻きだけで充分♪ 早く食べようよー」と言う私。
「切らないで、このまま食べたーい」と言う夢子。

「じゃあ、あるもので…」と母が小鉢に入れて持ってきたのは、
かぼちゃの煮たの。こんにゃくの煮たの。ナスの煮浸し。結び昆布の酢の物。
など、10皿ほどの和風のおかず。 野菜は自家製で採れたての。

…豪華じゃん。 私なら、「沢山つくった」と恩を着せかねない数と量だわ。。
「ない」と言っても色々出てくる。それが実家(笑)。

ご馳走は「ない」って意味なんだけど、お惣菜系こそ、私にとっては ご馳走なのよね。
夢子も大好きなので、ハンバーグとか出てこなくても満足なの♪
私の実弟は、「肉がないと食えない」とか、チャラけたことを言うけどね。
そんな輩↑がいなかったので(笑)、豪華だね美味しいねと食卓は弾むのでした。

ついつい お腹いっぱい食べてしまい、「きついねー」と言ってるところで、
プラムやらナシやら葡萄やら、お饅頭に水羊羹が出てくるのも、実家。
みんなが夢中で食べてるのを見るのが、しあわせらしい。


数年前に、念願だったという対面式にリフォームしたキッチンにばかり居る母。
いつ行ってもキレイに大事に使っていて、工事に携わった者として嬉しくなります。
コンロや換気扇もピカピカで、あちこち清潔で気持ちがいい。 風も抜けるし。
相変わらずモノは多いけども、食洗機は勿体ないと滅多に使わず意味ないけども、
居間に居る家族と お喋りしながら手を動かす母の表情を見ていて思います、
主婦が満ち足りているかどうかはキッチンに現れるかもしれないって。 余談ですが。






そして実家は、ラク♪  ごろごろできるだけじゃなくてね。

私の両親は、私より子どもっぽい部分が多いのですが、
それでも私が婚家や主人の愚痴を言っても、ほどよい所で止めてくれるし(笑)、
私の家族を、私より尊重したり大事にしたり、気づかっている。
主人なんて、いたれり尽くせりよ。 冷えたビールとおつまみがサッと出てくるし。

身近な間柄であっても、おもてなしされるのは誰だって嬉しいよね。
おもてなしっていうのは、食べ物だけの話じゃなくて、「歓迎っていう雰囲気」よね。
キモチの有る無しは、空気に、いや、なんにでも「出ちゃう」ものね。






1年あまり同居していた弟夫婦は既に別場所に居を構え、今は老夫婦だけの実家。

幼い頃から「跡取り」だと言い含められてきた弟ゆえ、結婚→実家で同居という流れで、
弟嫁とともに「親のことは任せて」と私に挨拶に来たのは、もう遠い過去(笑)。
同居時代、親夫婦と弟夫婦の間に立たざるを得なかった私も、疲弊いたしました。

今では、離れた世帯になって大正解だと思います。
お互いの人生を、無駄な労力と悩みで過ごすより、ずっと有意義な選択だったと。
それは私だけでなく、双方の当事者が一番わかっていると思う。


険悪に近かった関係性も、時間と共に風化させてくれる「血縁という縁」もあるし。
渦中の時期は体調を崩しまくりでホントに入退院が多かった両親も、
あの一件で、「何か」と決別し、腹もくくったせいか、今は見違えるほど生き生きしている。

弱った両親を私の家に呼ぼうという計画は立ち消えになったけれど、
それも、正解だったかもしれない。 親のためにも、きっと私のためにも。

親の築いた人間関係がある地域、慣れ親しんだ家で、野菜や花を育て、
犬2匹を家族として、自分たちのペースと価値観で生きるのが幸せだとしたら、
我が家に来ても、なくす幸せを埋められないかもしれない。
そればかりか、小さくなって気を使うような味気ない余生になってしまったかも。

あの時、親が決別した「何か」には、「アテにする気持ち」も含まれていたと思う。
孫と遊んだり趣味に没頭したりする絵に描いたような老後、というイメージもあったかも。
わが子といえど別人格。アテにしないのは自立に繋がり、そのパワーが元気に繋がる。
…のかもしれない(笑)。  今のところね、元気なうちはね。



ちなみに、親と弟夫婦の衝突の原因は、「合理性」です。
衣食住すべての面にかかわってくるから、流しきれなくなったようです。
手をかけることが愛情だと思っている1組と、そこで愛を計るのは違うだろうという1組。
「どっちの味方なんだ」と言われたけれども、どっちが良いとか悪いじゃないのよね。。

『今、その人が何を大事にしているか、何をしあわせだと思っているか』。

そこを理解して尊重してあげることができれば、同居もうまくいくんでしょうね。
理解できなくて衝突したり押し付けが生まれたり、譲れないなら、同居はしんどい。
親子に限らず、夫婦でもなんでも、そうだと思うけれど(笑)。

忙しい弟夫婦が大事にしてたのは時間で、ゆっくり夫婦でくつろぐことが幸せで。
隠居してる両親が大事にしてたのは日々の営みで、家族の会話が幸せで。

私は、2組の中間くらいだと思うけれど、私が大事にしてるのは… なんだろう?
ほっといてもらえれば勝手に小さな幸せ探しをしてはニマッとできる変人なので(笑)、
それを邪魔されることが、一番イヤかも! ←やっぱ私も子どもか。。

たとえ金魚鉢だとしても、その大きさなりの自由があるから泳げるのよ金魚だって。
泳げない金魚は金魚じゃないじゃん…って話がそれたわ。





ご先祖様に手を合わせるとき、「みんなを見守ってください」と祈っていた私。
最近は、変わってきました。 多分、いい変化だと思います。
「ご先祖様たち、どこにいるか分からないけど、しあわせでいてください」と。

「今おかげさまで幸せです、ありがとう」って言えるのが、ベストアンサーかもですが(笑)。



みなさま、どんな お盆をお過ごしなのでしょうか。
ゆっくり休めるといいですね、カラダも心も。




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